一月ほど前、荒勝・清水資料が京大内に現存していることがニュースになり、話題になりました。この間、『よみがえる京大サイクロトロン』にもマスコミの方々から問い合わせをいただきました。6月末、私は大きな締め切りを抱えていてすぐに書けなかったのですが、『よみがえる京大サイクロトロン』と大きく関わることなので、このブログに私が知る限りでの経緯を簡単に記しておきたいと思います。
はじめにスクープしたのは京都新聞です。
2015年6月25日
「日本軍の原爆開発資料発見 京大、GHQの押収逃れる」京都
翌日には、毎日新聞、朝日新聞、共同通信(地方各紙)が報道しました。
2015年6月26日
「荒勝京大元教授、断定の原本…遺品から発見」毎日一面
「荒勝京大元教授:加速器破壊「原子核研究の芽つまれた」」毎日
「京大の原爆研究ノート新発見 戦時中にウラン濃縮目指す」朝日
「原爆初判定の資料原本発見 京都帝大教授の遺品から」共同
2015年6月28日
「原爆投下直後の測定データ原本を確認グラフや証言メモ」朝日
これらの記事では、大きく二つの資料が見つかったことが伝えられています。一つは京大放射性同位元素総合センターに保管されていた清水栄の研究ノートで、もう一つは京大総合博物館に寄贈された荒勝文策の資料です。前者は戦時中の荒勝研でウラン濃縮や遠心分離装置開発に取り組んでいたことを伝えるもので(京都新聞がスクープ)、後者には広島に原爆が投下された後に調査した際の手書きのグラフや図表、さらにサイクロトロン破壊時の荒勝の日誌が含まれています(毎日新聞がスクープ)。
これらの資料が見つかったのは、長年にわたり荒勝関連資料を探してこられた政池明先生のご尽力によるものといえます。
後者については、私たちの『よみがえる京大サイクロトロン』の制作とも関わっています。私たちの京大サイクロトロンの調査活動を取材してくださった日経新聞の久保田啓介記者が、2008年に「湯川秀樹の遺伝子」という連載で、荒勝文策関連の人々を取材してまわられました。その時、荒勝教授のご遺族を訪ね、段ボール箱2箱の資料を預かったのでした(私たちは京大内で取材をしており、ご遺族のところまではうかがいませんでした)。この段ボール箱2箱はしばらくして政池明先生に託され、政池先生は段ボール箱の中から荒勝の日誌などを見つけ、『原子核研究』に記事を執筆されました。その後(2013年頃)、京大博物館に資料が寄贈されることになり、学習院大学院生でアーカイブズ専攻の久保田明子さんが中心となって資料の内容確認を行ってこられました。そこで原爆調査の際の生データを記した資料が発見されました。内容確認が一段落ついたのがこの春頃で、京大博物館のニュースレターNo.33(2015年3月20日) にも荒勝資料について記されています。
私は4月から京都の大学に研究員として赴任したので、京大博物館の研究協力者にしていだき、資料の保存にかかわらせていただく予定になっています。現在は在外研究中なので、実際にはこの冬からということになると思います。
時をかけて資料が幾人もの手を経て残されていく過程は感動的で、それは幾重もの幸運と、歴史を残し語り継ごうという人々の意思によるものです。歴史を伝えるリレーに少しでも参加し貢献したいという思いを強くしています。