10月の終わりから11月にかけて台湾を訪問してきました。
台湾は、日本植民地時代に荒勝文策らが加速器による原子核破壊実験をアジアで初めて成功させた土地です。
(1934年に、台北帝国大学でコッククロフトウォルトン型加速器を完成させました)
今の台湾に、その足跡は残っているのか。 。
台北帝国大学の後身である台湾大学には2005年に原子核物理の展示室 (NTU Heritage Hall of Physics) が開設されました。 展示室の目玉は再建された1948年の加速器ですが、この展示室ができる前は台湾大学における原子核物理の歴史は散在していたそうです。
この展示室をつくる中心人物となったのが科学史の学位をとり物理学科でポスドクをしていた張幸真博士です。張博士が制作したドキュメンタリー『衝破原子核』は、なくなってしまった加速器を求める張博士らの調査からはじまり、加速器がすでに年老いた当時の研究者たちの手によって再建されるという、彼らの加速器に対する情熱がじんじんと伝わってくる作品です。
私たちの訪問にあわせて、加速器建設に携わった先生方にもお越しいただきました。(写真は先生方と一緒に再建された加速器を背景にとってもらったものです。)
展示室には、加速器実験をはじめた荒勝文策、木村毅一らの写真や関連史料もおかれていました。こうした一連の動きがなければ、台湾における荒勝らの足跡は消え去っていたままでした。
ここに展示館パンフレットに載っている説明文を引用掲載します。
NTU Heritage Hall of Physics is located at the original Nuclear Physics Laboratory in the Building No.2 of UTU. The Hall displays Cockcroft-Walton Linear Accelerator, which was built by Professor Arakatsu Bunsaku at the predecessor of National Taiwan University (named as Taihoku Imperial University). In 1934, Professor Arakatsu and his team demonstrated, for the first time in Asia, the linear collision of nucleus by utilizing Cockcroft-Walton Accelerator. After the WWII, under Chairperson Tai Yuin-Kwei and the team members rebuilt the acceleraeor. In 1948, the team once again succeccfully accelerated protons to break up the nucleus of lithium. In 2005, Professor Hsu lead young group to reassemble the first linear accelerator and set up Herritage Hall of Physics. They connect the lost parts of Taiwan's science history by video and made into the documentary.
このような博物館ができた経緯について物理学科のディレクターは、イギリスの大学(たしかオックスフォード)に行ったときに、博物館展示の重要性に気づき、この展示室をつくることにしたと語ってくれました。
台湾大学では、研究の成果を博物館のような形でしっかりとPRしていこうという体制が整っていました。「台湾大学博物館群」として、校史、人類学、地質、物理、昆虫、農業、植物、動物、史料、人文、それぞれの展示室があり、各々ロゴまでしっかり作成されていました。
博物館群の中心となる校史館では台湾大学の歴史と現在の研究までを網羅しており、私たちの訪問にあわせて台湾大学の院生が解説をしてくれました。(彼は週に2~3回、ボランティアで海外からの来客に解説をしているそうです。とてもまねできません!)
一方、ここでは主要な目的がPRであるために、史料の保存はあまり期待できないように思われました。張博士は別なところに就職して物理学科を去り、ナノ研究をしている若い教授は新たな物理の展示室を作りたいと語ってくれました。原子核物理展示室の設立もすでに歴史の一部なのだなあと感慨深く思いました。とはいっても一度つくられた展示室とドキュメンタリーは、見た人が彼らの歴史に向かい合う入り口となり続けるでしょう。
これは雑駁とした印象ですが、台湾の大学や博物館では日本植民地下の日本人科学者の業績を非常に肯定的に、台湾における科学の基礎を作ったとして捉えられているように見えました。この点については、植民地という問題とともに考えていきたいと思います。(このブログの冒頭でも用いていますが「アジア初」という少々奇妙な表現もこの問題をどのようにとらえるのかということの難しさをあらわしているように思います。)
---
今回、台湾大学のほかにNSRRC(国家同歩輻射研究中心)や精華大学を訪れ、手作りで実験装置をつくることにかける情熱を感じることができました。加速器の研究者と一緒にまわったことも、その理由もひとつかもしれません。
今回は、竹腰先生はじめ京都大学やKEKの加速器の先生方に同行させていただき、貴重な経験をすることができました。 この経験を今後につなげていきたいとまた忙しくなりそうなこのごろです。