2015年7月21日火曜日

京大で発見された原爆関連資料について

一月ほど前、荒勝・清水資料が京大内に現存していることがニュースになり、話題になりました。この間、『よみがえる京大サイクロトロン』にもマスコミの方々から問い合わせをいただきました。6月末、私は大きな締め切りを抱えていてすぐに書けなかったのですが、『よみがえる京大サイクロトロン』と大きく関わることなので、このブログに私が知る限りでの経緯を簡単に記しておきたいと思います。

はじめにスクープしたのは京都新聞です。
2015625
「日本軍の原爆開発資料発見 京大、GHQの押収逃れる」京都

翌日には、毎日新聞、朝日新聞、共同通信(地方各紙)が報道しました。
2015626
「荒勝京大元教授、断定の原本…遺品から発見」毎日一面
「荒勝京大元教授:加速器破壊「原子核研究の芽つまれた」」毎日
「京大の原爆研究ノート新発見 戦時中にウラン濃縮目指す」朝日
「原爆初判定の資料原本発見 京都帝大教授の遺品から」共同

2015628
「原爆投下直後の測定データ原本を確認グラフや証言メモ」朝日

これらの記事では、大きく二つの資料が見つかったことが伝えられています。一つは京大放射性同位元素総合センターに保管されていた清水栄の研究ノートで、もう一つは京大総合博物館に寄贈された荒勝文策の資料です。前者は戦時中の荒勝研でウラン濃縮や遠心分離装置開発に取り組んでいたことを伝えるもので(京都新聞がスクープ)、後者には広島に原爆が投下された後に調査した際の手書きのグラフや図表、さらにサイクロトロン破壊時の荒勝の日誌が含まれています(毎日新聞がスクープ)。

これらの資料が見つかったのは、長年にわたり荒勝関連資料を探してこられた政池明先生のご尽力によるものといえます。

後者については、私たちの『よみがえる京大サイクロトロン』の制作とも関わっています。私たちの京大サイクロトロンの調査活動を取材してくださった日経新聞の久保田啓介記者が、2008年に「湯川秀樹の遺伝子」という連載で、荒勝文策関連の人々を取材してまわられました。その時、荒勝教授のご遺族を訪ね、段ボール箱2箱の資料を預かったのでした(私たちは京大内で取材をしており、ご遺族のところまではうかがいませんでした)。この段ボール箱2箱はしばらくして政池明先生に託され、政池先生は段ボール箱の中から荒勝の日誌などを見つけ、『原子核研究』に記事を執筆されました。その後(2013年頃)、京大博物館に資料が寄贈されることになり、学習院大学院生でアーカイブズ専攻の久保田明子さんが中心となって資料の内容確認を行ってこられました。そこで原爆調査の際の生データを記した資料が発見されました。内容確認が一段落ついたのがこの春頃で、京大博物館のニュースレターNo.33(2015320にも荒勝資料について記されています。
私は4月から京都の大学に研究員として赴任したので、京大博物館の研究協力者にしていだき、資料の保存にかかわらせていただく予定になっています。現在は在外研究中なので、実際にはこの冬からということになると思います。 

時をかけて資料が幾人もの手を経て残されていく過程は感動的で、それは幾重もの幸運と、歴史を残し語り継ごうという人々の意思によるものです。歴史を伝えるリレーに少しでも参加し貢献したいという思いを強くしています。

2015年1月20日火曜日

広島での上映

1月13日に、広島大学の隠岐さや香先生の授業の時間で、上映会を開催していただきました。授業の受講生は、なんと160人〜170人ほどいるとのことで、恐らくこれまでで一番大人数の上映会となりました。また、学生以外の方にも広大関係者を中心にご参加いただきました。

上映後には、まず隠岐さんから、これまでの上映会の反応などについて質問いただき、海外での上映の際の反応についてお話し、福島での原発事故以降には、見られ方が変わってきたということなどを話しました。映画を見る上での知識として、終戦を迎えて軍の公式資料が大量に焼かれたこと、731部隊の人体実験の歴史が隠されてきたことなど、戦時中の研究をめぐる戦後の隠蔽がどのようになされてきたかも話題になりました。

学生からもいくつかの質問をいただきましたが、歴史認識をめぐるバイアスについて、アメリカの核実験博物館はバイアスの展示をしていたが、例えば広島の博物館では核兵器の恐ろしさを伝えるためにバイアスをかけていくべきなのかと質問がありました。私は、バイアスという言葉の難しさ(一方がバイアスと感じることでも、他方では当たり前の認識かもしれない)、わざとバイアスをかけることには問題があると思うが、例え周りからバイアスがかかっていると思われようが自らの視点を伝えることが重要であると思うということ、いまの問題として、広島で被爆体験をした人々が少なくなっているので、何がバイアスかがわからなくなっていくのではないかという返答をしました。隠岐さんからは、バイアスという言い方は、stand point(立ち位置)ということができるということ、それぞれの立ち位置が問われているといった補足をいただきました。

この映画の試写版ができたのが2008年なので、もう7年も経つのかと思いながら見ていましたが、戦争が始まったらおしまいであるといったメッセージが語られる箇所などでは、この映画で語られていることは全然古びていなくて、いままた新たなアクチュアリティーを帯びてしまっていると感じました。

隠岐さんからは、いま広島で見られるべき映像であったという感想をいただきました。
貴重な機会をありがとうございました。また広島で何かできたらと思います。

マーシャルでの上映

2014年の3月にマーシャル諸島の首都マジュロで上映の機会を得ました。

これまで日本人はマーシャルで、共に核兵器の被害を受けた者として連帯してきましたが、一方ではマーシャルを占領したという歴史も持っています。マーシャルでの『よみがえる京大サイクロトロン』の上映は、核の犠牲者としてだけではなく、もっと多様な視点を示すことができるよい機会になるのではないかと、長年マーシャルの研究をしている中原聖乃さんに上映会を後押ししていただきました。

マジュロでは、アサンプションという学校で、ブライアン先生の担当する14〜16歳と16〜18歳のクラスで2回上映していただきました。この学校はマジュロでも比較的裕福な家庭の子どもたちが通う学校で、私が訪れた期間にも、核実験の歴史を追悼する集会や、科学実験ショーなど、面白い取り組みをたくさんしていました。

映画への学生たちの反応からは、マーシャルではビキニ環礁で行われた核実験の歴史は教えられていても、日本での原爆被害がどのようなものであったかについてはあまり伝えられていないように感じました。上映後には、「サイクロトロンとは何か」「ウラニウム爆弾とは何か」「原爆の規模は水爆とどれくらい違うのか」など、具体的な質問を多くいただきました。また、「核兵器は人道への罪だと思うか」といったダイレクトな質問をいただきました。

字幕でかつスクリーンが小さめであったこともあり、難しい内容に感じられたようです。それでも最後まで見れくれて質問をしてくれた学生の皆さんに感謝しています。