2015年1月20日火曜日

広島での上映

1月13日に、広島大学の隠岐さや香先生の授業の時間で、上映会を開催していただきました。授業の受講生は、なんと160人〜170人ほどいるとのことで、恐らくこれまでで一番大人数の上映会となりました。また、学生以外の方にも広大関係者を中心にご参加いただきました。

上映後には、まず隠岐さんから、これまでの上映会の反応などについて質問いただき、海外での上映の際の反応についてお話し、福島での原発事故以降には、見られ方が変わってきたということなどを話しました。映画を見る上での知識として、終戦を迎えて軍の公式資料が大量に焼かれたこと、731部隊の人体実験の歴史が隠されてきたことなど、戦時中の研究をめぐる戦後の隠蔽がどのようになされてきたかも話題になりました。

学生からもいくつかの質問をいただきましたが、歴史認識をめぐるバイアスについて、アメリカの核実験博物館はバイアスの展示をしていたが、例えば広島の博物館では核兵器の恐ろしさを伝えるためにバイアスをかけていくべきなのかと質問がありました。私は、バイアスという言葉の難しさ(一方がバイアスと感じることでも、他方では当たり前の認識かもしれない)、わざとバイアスをかけることには問題があると思うが、例え周りからバイアスがかかっていると思われようが自らの視点を伝えることが重要であると思うということ、いまの問題として、広島で被爆体験をした人々が少なくなっているので、何がバイアスかがわからなくなっていくのではないかという返答をしました。隠岐さんからは、バイアスという言い方は、stand point(立ち位置)ということができるということ、それぞれの立ち位置が問われているといった補足をいただきました。

この映画の試写版ができたのが2008年なので、もう7年も経つのかと思いながら見ていましたが、戦争が始まったらおしまいであるといったメッセージが語られる箇所などでは、この映画で語られていることは全然古びていなくて、いままた新たなアクチュアリティーを帯びてしまっていると感じました。

隠岐さんからは、いま広島で見られるべき映像であったという感想をいただきました。
貴重な機会をありがとうございました。また広島で何かできたらと思います。

マーシャルでの上映

2014年の3月にマーシャル諸島の首都マジュロで上映の機会を得ました。

これまで日本人はマーシャルで、共に核兵器の被害を受けた者として連帯してきましたが、一方ではマーシャルを占領したという歴史も持っています。マーシャルでの『よみがえる京大サイクロトロン』の上映は、核の犠牲者としてだけではなく、もっと多様な視点を示すことができるよい機会になるのではないかと、長年マーシャルの研究をしている中原聖乃さんに上映会を後押ししていただきました。

マジュロでは、アサンプションという学校で、ブライアン先生の担当する14〜16歳と16〜18歳のクラスで2回上映していただきました。この学校はマジュロでも比較的裕福な家庭の子どもたちが通う学校で、私が訪れた期間にも、核実験の歴史を追悼する集会や、科学実験ショーなど、面白い取り組みをたくさんしていました。

映画への学生たちの反応からは、マーシャルではビキニ環礁で行われた核実験の歴史は教えられていても、日本での原爆被害がどのようなものであったかについてはあまり伝えられていないように感じました。上映後には、「サイクロトロンとは何か」「ウラニウム爆弾とは何か」「原爆の規模は水爆とどれくらい違うのか」など、具体的な質問を多くいただきました。また、「核兵器は人道への罪だと思うか」といったダイレクトな質問をいただきました。

字幕でかつスクリーンが小さめであったこともあり、難しい内容に感じられたようです。それでも最後まで見れくれて質問をしてくれた学生の皆さんに感謝しています。