2008年12月18日木曜日

理科大生の感想

先日理科大の授業で上映する機会をつくってくれた愼蒼健先生が、
すごい数のレポートを送ってくれました!(80人近く)
ぜんぶ興味深く拝見しました。
さまざまなことを考えてもらえて制作してよかったと改めて感じています。
せっかくなのでここで一部ご紹介したいと思います。
(一人800字程度の感想のうちの一部です)



私 は、「よみがえる京大サイクロトロン」を見て、科学史というものをあらためて実感した。私は今まで戦争を、表面側からしか見ていなかったのだと思った。第 二次世界大戦の最中に、見えないところで、科学者たちが築き上げていったものを、この映画を通して初めて見ることができたのである。




関連する出来事がさまざまな立場の人たちの視点から述べられていて、それぞれの意見の中には違ったものもあり、当時の人々の心理を含めた歴史を知ることはなかなか難しいことだと思った。
最初は正直見せられて見ていたが、興味深い内容に引きこまれ途中からは真剣になって見ることのできるほど見ていて面白かったです。



原 爆の開発は当時の大学1年生でも可能であったと知っていたことや、結局成功しなかったものの海軍からの援助があり荒勝文 策らが開発に取り掛かっていたということ、そのメンバーに湯川秀樹もいたなど知らなかったので最後まであっという間の大変興味深い映画でした。いつか博物 館にポールチップを見に行きたいです。




サ イクロトロンという切り口で歴史を振り返るのはとても面白い観点だと思いました。なぜなら、今まで自分が教わっ てきた日本の戦争の歴史とは随分違った印象を受たからです。正直、自分は日本が原爆研究に携わっていたことすら知らなかったのですが、様々な人がサイクロ トロンという一つのものに対して色々な証言や意見を述べていた姿はとても印象的でした。当たり前のことかもしれませんが、一人一人全く違ったことを言って いたように思います。



今回「よみがえる京大サイクロトロン」を見て、映画の中で、当時の関係者が話した戦時中の大学の様子が興味深く感じられた。大学では戦時にもかかわらず自由に授業や研究が行われていたということを聞き、また中尾さんが原爆研究は大学が純粋な科学研究をするためにとった建て前という側面もあると聞き、今まで抱いていた国民が戦争に総動員されている戦争のイメージと違いおもしろかった。戦中であってもさまざまな考え方を持った人がいたという事実は、当然といえば当然だが興味深かった。これまで戦争というと悲惨なイメージしかなかったが、今までと違う視点から戦争を見ることができ面白かった。




はこのドキュメンタリーをみて、ものすごく複雑な思いである。なぜかというと「日本は原爆を作ろうとしていたのか」とい うテーマに対して、自分の中ではっきりとした答えが見つからないからだ。日本は第二次世界大戦において原爆によって数多くの人々を失い、悲惨な思いをし た。その日本が自らの手で原爆の開発をしていたとは考えたくはない。



サイクロトロンの部品が残ったのは極めて幸運な偶然であり、この部品が過去の原爆研究を示す重要な証拠であることには違いない。このことに関して10人いれば10通りの意見が出てくるが、今回のドキュメンタリーを見た私達に過去の史実だけでなく、考える機会も与えられたのだからとても有意義なものになったと思う。



科学というものをどうとらえるか。これは理学部である自分にとっても大切なことだと感じた。何かを犠牲にする進歩ではなく、その何かと協力して得られる進歩を目指したいと思う。



こ の映画のおかげで普通に生活をしているだけでは、決して見ることができなかった戦争中のサイクロトロンの一部を見ることができた。その上、偉大な科学者の サイクロトロンの意見を聞くことができ、現代の大学生がどのようにサイクロトロンについて考えているのかを知ることができておもしろかった。今まで当たり 前のように考えていたこともこのように深く、真剣に調べることによって全く違ったこともあることがある。先入観にとらわれずに調べていく大切さを知る機会 になった。このことを生かして国のため、世界に貢献できるような科学者になれるように頑張っていこうと思う。

続・理科大生の感想

長くなるので分割しました。



日本が核爆弾の開発を進めていた可能性がある(映画によると断定はできないと感じた)という部分は確かに驚いたが、それよ りはるかに衝撃的だったのが、“GHQによるサイクロトロンの破壊”という事実だ。本当に、耳を疑った。何故かというと、僕は、今まで中学、高校と社会科 の授業をちゃんと受けていたが、“GHQとは鎖国をしていた日本を国際化へ導き、軍国主義から平和主義、民主化など、現在の日本の基盤を作りあげた。”と いうプラスのイメージしか持っていなかったからである。




今まで習ってきたこと殻の自分の見解は、アメリカやその他の国が原爆を造っていて、日本は第二次世界大戦において、広島と長崎に原爆を落とされているの で、“その恐ろしさを世界に知ってもらおう”という単純な考えだ。 確かにその考えは正しいものであり、これからの世界平和にとってとても重要なことだろう。しかし、今回のドキュメンタリーを知った上でなら、“日本は原爆 の被害者であるということと同時に、原爆の加害者になる可能性もあった”という事実を知っていることが必要だと感じた。




自分の意見としては、サイクロトロンの破壊は賛成と考える。研究が発展し、どのように使われていくかはわからないが、原爆に関係するところから明るい光は見えてこない。ただ、この事実は今後平和を考えていく中で、大切にしていかなければならないと感じた。



わざわざ破壊したくらいなので、アメリカはサイクロトロンを原子爆弾と結びつけてとらていたと考えられる。しかし、科学者は純粋にサイクロトロンの研究を したかったが、研究には材料、人手、お金などが必要であり、軍部に援助してもらうために、核開発目的を装ったとする立場もある。無論軍部の方も一枚岩では なく、大学出身者が母校の研究室に研究費をまわそうと目論んでいた可能性もある。




昔、こういった研究ごとは金持ちが専ら行っていたという事を以前聞いた。当時の娯楽に飽きてしまった金持ちが見つけたのが、物理の研究であった。彼らはあ くまで暇をつぶすために興味本位で研究をし、様々な発見をしてきた。もしかしたら荒勝氏もそのような人だったのだろうか。「粒子に大きなエネルギーを与え て他の粒子と衝突させるとどうなるか」という疑問だけを持ってずっと研究を行っていたのだろうか。また、彼にとって戦争はどうでも良く、ただただ自分の研 究がしたいがために海軍を騙してまで研究を続けていたのだろうか。こう考えると、荒勝氏は「当時の国民像」としては良くなくても「研究者」としては素晴ら しいと感じた。荒勝氏の事を知ってもっと深くこの問題を知りたいと思った。



科学者を含む学者の役割の大きな部分である「知の探求」考えるならば、彼らの行動は大いに賞賛されるだろう。国が貧しかろうと戦時だろうと探求をやめなかったのだから。しかし、古代ギリシャの哲学する人々の登場には、今日では好ましくない制度だが奴隷が潤沢におり、自分は雑務をしなくても良い環境が整っていたことが大きく関係する。他の事をしなくても良い暇な人口の存在が学問の礎となった。科学も哲学からの派生であることを考えると、奴隷ではない他の国民が苦汁をなめている中で、完成が戦時中には見込めない原爆製造の基礎研究に勤しみ、国民への負担を無視して自分の欲求を追及している彼らは賞賛されるべき学者であるのか疑問である。



私は研究者たちが原爆開発を全く視野に入れていなかったとは、言い切れないと思う。戦時中で実用できれば日本の戦力になるならば、少なくとも開発したくないとは思っていなかったはずだ。ただ、研究が原爆を開発するというレベルに達していなかっただけで、もし十分に研究が進んでいたなら、日本の研究者たちも原爆を作っていたということは考えられる。



軍が求めていたのは原爆という「目的」であり、研究者が求めていたのは核研究という「過程」である。研究者たちは「過程」を行うための資金や資材を手に入れるために、軍が求める「結果」を受け入れた。一方軍は、「結果」を得るために研究者が求める「過程」を行うだけのものを与えた。個人ごとに差があるだろうが、軍の人間も研究者もなんとなくはお互いの求めていることのズレを理解していたのではないかと感じる。それでも大きく考えれば、進みたい方向は同じであるのでそれほど問題ではない、という意識だったのではないだろうか。



科学史に限らず歴史学というものは結論を言い切ってしまうことが難しいものなのだろう。殊に第二次大戦に関わることは被害 を受けた方が多く存命するのでその困難さに拍車が掛かっているのだろう。私は一般的な法則を見つけ出すことを目的とした物理学を学んでいるので正直言って この手の議論にはもどかしさを感じる。だがこういう議論が絶えないからこそ現代人が戦争を考えることができるのだろう。仮に議論が決着を付いてしまったと 考えると、一体どれ程の人が戦争について考えるのであろうか。歴史学の知識は何も無いが私はそのように考えさせられた。



サイクロトロンは破壊された。しかしその研究は後世の私たちにそれが確かに存在した証となる1枚のボールチップと、知識と経験を残した。サイクロトロンそ のものは破壊されても、何度でもよみがえるだろう。問われるのは、私たちがいかにして
その技術を利用していくかではないだろうか。



たくさん紹介しすぎてしまいました。。
解釈はもちろん自由ですが、思った以上に私が作品にこめた思いをうけとってくれていて、嬉しいです。

2008年11月22日土曜日

サイエンスアゴラ

いよいよ明日、サイエンスアゴラでの上映&語り合いです。  
http://scienceportal.jp/scienceagora/agora2008/081123/2-16.html  
11月23日(日) 17:30-19:00 日本科学未来館 7F  イノベーションホール  
司会進行は、中尾麻伊香(東京大学総合文化研究科)、林衛(富山大学 人間発達科学部)が務めます。  
上映後は、山口勝さん(NHKアナウンサー)、立花浩司さん(サイエンス カフェ・ポータル)、そして元村有希子さん(毎日新聞科学環境部)に 語り合いの口火をきっていただく予定です。  
19時からはサイエンスアゴラの懇親会もあるのでぜひご参加ください。 懇親会参加費は千円です!

2008年11月21日金曜日

日本の原爆研究

先日、東京理科大の科学史の授業に招いていただき、学生にドキュメンタリーを見てもらいました。
科学史の授業ですが受講生の多くは、20歳前後の若い科学者の卵です!
率直な質問やコメントをいただき、ちゃんと答えられるように精進したいと思いました。
中でも、日本で行われていた原爆研究について質問が集中したように思います。
なぜかと思えば、日本で原爆研究が行われていたということを見聞きしたことのある学生は、約100人中1人だったのでした。。

ということで、ここでは詳しいことは書きませんが、先行研究をいくつか紹介したいと思います。


日本の原爆開発史については、新聞の連載や週刊誌などに関係者の回想録といった形で少しずつ伝えられてきました。ただし「原爆」といっても、完成にはほど遠く、初歩的な理論研究しかできていなかったというのが先行研究の一致した見解です。それを念頭においた上で。

まずは50年代に、関係者による回想録として紹介され始めました。陸軍技術少佐として原爆研究に携わっていた山本洋一は1953年ごろから週刊誌などに記事を書き、のちに『日本製原爆の真相』としてまとめています。

1967年から1975年にかけて『読売新聞』が連載した「昭和史の天皇」は、新聞記者が戦時中の出来事を関係者のインタビューを通して掘り起こしていったものですが、第4巻は日本の原爆開発にあてられています。これによって、はじめて日本の原爆研究の全体像が明らかになったといえます。

また、戦時史研究者の保阪正康は70年代に原爆開発についての調査を行い、雑誌に連載した内容を『戦時秘話―原子爆弾完成を急げ』にまとめています。

90年代後半から科学史研究者の山崎正勝らが、残されている一次資料をあたり、戦時中の原爆研究の内実を明らかにしてきました。これは学会誌『科学史研究』や『技術文化論集(東工大技術構造分析講座紀要)』などで発表されています。
また、2006年に出版された『仁科芳雄往復書簡集Ⅲ』も当時の研究状況を知るのに格好の資料といえます。

近年ではウォルター・E・グルンデン(戦時期の兵器開発)、モーリス・ロウ(戦時体制と物理学)らも調査を行っています。


これらの研究は、入手しにくいものが多いかもしれません。
(絶版になっているものは国会図書館などにいかないと読めません。多分)
また、記述の誤りが指摘されているものもあります。
ネットで見れるものとしては、

テレビ朝日
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/toppage/060806_010.html

こちらは京大のF号研究に関する日経新聞の連載です

「秘史・日本の原爆研究」
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news001375.html


Mark Walker は"Nazi Science: Myth, Truth, and the German Atomic Bomb"でナチスの原爆をめぐる神話と実際を書いています。彼は、ドイツの物理学者が原爆の理論をよく知らなかったという従来説を、資料によって覆した(つまり、ドイツの物理学者は原爆の理論をちゃんと理解していた)りしたのですが、日本の原爆研究をめぐる歴史についても、新たな説がでてくる可能性があります。

ここにあげている情報もすべてが正しいとは限らないので、
何か気づくことがあれば、ご指摘ください。
ということで、いったん終わります。

ポスター

少し前にポスターを作りました。

↓こちらのページからダウンロードしてください!
http://scicom.edu.u-toyama.ac.jp/cyclotron2008agora.pdf

文字情報を以下に貼付けます。

***
ドキュメンタリー映画 よみがえる京大サイクロトロン

1945年11月24日、GHQの占領政策により日本国内にあったサイクロトロンが
すべて破壊された。この破壊は米国の物理学者たちから、GHQの蛮行であると
非難された。科学を知らない軍人が、サイクロトロンを原爆製造の道具と勘
違いしたというのである。

それから60年以上が経過した2006年2月、京都大学総合博物館に、破壊された
はずのサイクロトロンの一部が保管されていることが明かされた。
その部品はなぜ破壊を免れ、その後どのような経緯を辿ってきたのか。

関係者へのインタビューや歴史資料からサイクロトロンの歴史をめぐる謎に迫る。

2008年 試写版 74分
制作・監督.中尾麻伊香 制作監修.林衛 編集.鈴木恵生 企画.塩瀬隆之

///  /   ///   /   ///   /   ///   /   ///

次回上映は
2008年11月23日(日)17時半~
サイエンスアゴラ2008(日本科学未来館)

ドキュメンタリー映画『よみがえる京大サイクロトロン』は2005年の秋から開催された「サイエンスライティング講座@京都」をきっかけにサイクロトロン部品と出会った制作者が、その後2007年の「科学コミュニケーター・サマーセミナー」などを経て、映像作品にまとめたものです。
これまで、京都、札幌、東京、山梨、富山などで上映試写会を行ってきました。
より詳しい情報や今後の予定についてはブログをご覧ください。
http://www.kyotocyc.blogspot.com

*関連情報*
日経新聞「湯川秀樹の遺伝子」2008年1月から関西版に連載されました!
その他、さまざまなメディアで紹介されています。
日本加速器学会誌第5巻1号から2号まで、関連論文を執筆しています。
『市民科学』第20号に、市民科学講座として行われた上映会の報告記事があります。
***

2008年11月3日月曜日

台湾訪問

10月の終わりから11月にかけて台湾を訪問してきました。

台湾は、日本植民地時代に荒勝文策らが加速器による原子核破壊実験をアジアで初めて成功させた土地です。

(1934年に、台北帝国大学でコッククロフトウォルトン型加速器を完成させました)

今の台湾に、その足跡は残っているのか。 。

台北帝国大学の後身である台湾大学には2005年に原子核物理の展示室 (NTU Heritage Hall of Physics) が開設されました。 展示室の目玉は再建された1948年の加速器ですが、この展示室ができる前は台湾大学における原子核物理の歴史は散在していたそうです。

この展示室をつくる中心人物となったのが科学史の学位をとり物理学科でポスドクをしていた張幸真博士です。張博士が制作したドキュメンタリー『衝破原子核』は、なくなってしまった加速器を求める張博士らの調査からはじまり、加速器がすでに年老いた当時の研究者たちの手によって再建されるという、彼らの加速器に対する情熱がじんじんと伝わってくる作品です。

私たちの訪問にあわせて、加速器建設に携わった先生方にもお越しいただきました。(写真は先生方と一緒に再建された加速器を背景にとってもらったものです。)

展示室には、加速器実験をはじめた荒勝文策、木村毅一らの写真や関連史料もおかれていました。こうした一連の動きがなければ、台湾における荒勝らの足跡は消え去っていたままでした。

ここに展示館パンフレットに載っている説明文を引用掲載します。
NTU Heritage Hall of Physics is located at the original Nuclear Physics Laboratory in the Building No.2 of UTU. The Hall displays Cockcroft-Walton Linear Accelerator, which was built by Professor Arakatsu Bunsaku at the predecessor of National Taiwan University (named as Taihoku Imperial University). In 1934, Professor Arakatsu and his team demonstrated, for the first time in Asia, the linear collision of nucleus by utilizing Cockcroft-Walton Accelerator. After the WWII, under Chairperson Tai Yuin-Kwei and the team members rebuilt the acceleraeor. In 1948, the team once again succeccfully accelerated protons to break up the nucleus of lithium. In 2005, Professor Hsu lead young group to reassemble the first linear accelerator and set up Herritage Hall of Physics. They connect the lost parts of Taiwan's science history by video and made into the documentary.

このような博物館ができた経緯について物理学科のディレクターは、イギリスの大学(たしかオックスフォード)に行ったときに、博物館展示の重要性に気づき、この展示室をつくることにしたと語ってくれました。

台湾大学では、研究の成果を博物館のような形でしっかりとPRしていこうという体制が整っていました。「台湾大学博物館群」として、校史、人類学、地質、物理、昆虫、農業、植物、動物、史料、人文、それぞれの展示室があり、各々ロゴまでしっかり作成されていました。
博物館群の中心となる校史館では台湾大学の歴史と現在の研究までを網羅しており、私たちの訪問にあわせて台湾大学の院生が解説をしてくれました。(彼は週に2~3回、ボランティアで海外からの来客に解説をしているそうです。とてもまねできません!)

一方、ここでは主要な目的がPRであるために、史料の保存はあまり期待できないように思われました。張博士は別なところに就職して物理学科を去り、ナノ研究をしている若い教授は新たな物理の展示室を作りたいと語ってくれました。原子核物理展示室の設立もすでに歴史の一部なのだなあと感慨深く思いました。とはいっても一度つくられた展示室とドキュメンタリーは、見た人が彼らの歴史に向かい合う入り口となり続けるでしょう。

これは雑駁とした印象ですが、台湾の大学や博物館では日本植民地下の日本人科学者の業績を非常に肯定的に、台湾における科学の基礎を作ったとして捉えられているように見えました。この点については、植民地という問題とともに考えていきたいと思います。(このブログの冒頭でも用いていますが「アジア初」という少々奇妙な表現もこの問題をどのようにとらえるのかということの難しさをあらわしているように思います。)

---
今回、台湾大学のほかにNSRRC(国家同歩輻射研究中心)や精華大学を訪れ、手作りで実験装置をつくることにかける情熱を感じることができました。加速器の研究者と一緒にまわったことも、その理由もひとつかもしれません。
今回は、竹腰先生はじめ京都大学やKEKの加速器の先生方に同行させていただき、貴重な経験をすることができました。 この経験を今後につなげていきたいとまた忙しくなりそうなこのごろです。

上映予告(サイエンスアゴラ)

「『よみがえる京大サイクロトロン』上映&語り合いの会」を11月22日から24日にかけて開催されるサイエンスアゴラでおこないます。

日時:11月23日(日) 17:30-19:00
会場:日本科学未来館 7F イノベーションホール

http://scienceportal.jp/scienceagora/agora2008/081123/2-16.html

昨年はサイエンスアゴラで予告編のみ上映しました。
今年はいよいよ本編の上映になります。

11月24日はサイクロトロンが破壊されてから63年目にあたります。
その日にあわせて上映をしたいと思ったのですが、事情により前日の23日になりました。

広めの会場なので、ぜひみに来てください!

2008年10月13日月曜日

上映予告(京大化研)

今週末(10月18日から19日)の京都大学宇治キャンパスの一般公開で、上映予定です!
http://www.uji.kyoto-u.ac.jp/open-campus/2008.html

おそらく展示コーナーの一角での上映になると思います。
また詳細がわかれば追加します。
京都方面の方よかったらお越しください。

---
上映時間は、
18、19両日とも、
11時~、13時~、15時~
になります!

2008年8月28日木曜日

上映予告(KEK)

8月31日(日)、KEKの一般公開で、ドキュメンタリーが上映されます!

location: コミュニケーションプラザ
time:  9:30-10:45  & 14:00-15:15

詳細はKEKのページをご覧ください。   
http://www.kek.jp/openhouse/2008/

また同日、史料室の展示エリアでも上映される予定です。

2008年8月16日土曜日

加速器実験

8月2日の上映会にいらした毎日新聞の青野記者が、今日の「発信箱」に「加速器と責任」という文章を書かれています。ドキュメンタリーについても紹介されています。

http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/archive/news/20080816ddm002070027000c.html

CERNのLHC(大型ハドロン衝突型加速器)の実験によりブラックホールが出現し、地球が飲み込まれるのではないかとの懸念から(LHCの運用中止を求める訴訟までおこり)、当初実験が予定されていた8月7日の前には一部の人々をはらはらさせました。実験は9月10日に延期されたとのことで、一ヶ月間気が気でない人も多いのでは!?

私はこのニュースを聞いたとき、1940年2月のTIMEの記事を思い出しました。記事では、核分裂発見のあとジョン・F・ダニングらがニューヨークで追実験を行ったときに芽生えた「核分裂連鎖反応によってニューヨークが壊滅したかもしれない」というセンセーショナルな逸話を紹介していました。記事によるとそれは「コロンビア大学の善意をもった物理学者が、まるで小さな男の子がナッツをくだくように満足げにウラニウム原子を中性子で割る」ことによります。このような不安は1939年以降さまざまな記事にみることができます。新たな挑戦にはいつの時代も希望と不安とがつきものですが、挑戦者たちだけではなく地球規模(宇宙規模?)で心配される、というのが今回の実験の規模を物語っているようです。

8月31日に、KEK(高エネルギー加速器研究機構)の施設が一般公開されます。
この機会に加速器研究者にいろいろと聞いてみたいですね。
「よみがえる京大サイクロトロン」も、一般公開の日に展示ホールと史料室の2箇所で上映される予定です。KEKに足を運ぶ方はぜひご覧ください。時間などの詳細についてはまたお知らせします。

2008年8月14日木曜日

上映予告

8月24日、富山で上映会があります!

----

開催日:2008年8月24日(日)
開催場所:フォルツァ総曲輪ライブホールにて

第1部15:00~(入場無料)
「よみがえる京大サイクロトロン」上映会70分・トークライブ60分
この映画の中尾監督を交えたトークライブ

第2部17:30~NNNT年次総会

第3部18:00~(参加費3,000円)
ネットワークパーティー  軽食・飲み物付き
交流の時間があります。名刺、チラシなどあればお持ち下さい。

*準備の都合上ご参加の場合下記お問合せ先までご連絡ください。
主催:NGO・NPOネットワークとやま
お問合せ先:フォルツァ総曲輪
富山県富山市総曲輪3-3-6 総曲輪ウィズビル5F
TEL 076-493-8815
メール:info@pctool.org

2008年8月13日水曜日

上映報告(山梨県立科学館)

8月11日、山梨県立科学館で、同館のプラネタリウム作品「戦場に輝くベガ 約束の星を見上げて」と、「よみがえる京大サイクロトロン」を上映し、二作品について語り合う、という企画が催されました。
これは、サイクロトロンドキュメンタリーの制作チームの一人である、林さんの強い希望により、実現しました。
山梨県立科学館は、子供たちが楽しめる体験型展示がたくさんあって、すてきなところでした。
プラネタリウムは学芸員の高橋真理子さんのナビゲーションで、とくにすばらしかったです!
後半は、ベガの上映です。

以下はベガ上映実行委員会ウェブサイトより、ベガの説明です。
---------
プラネタリウム番組「戦場に輝くベガ~約束の星を見上げて」は、ほんの60年前、星が武器になった時代を描いた2006年公開の作品です。
天文航法(*)で陸上爆撃機「銀河」を導く若き偵察員和夫と、その元データとなる高度方位暦をつくる学徒勤労動員の女学生久子。二人は離れていても、いつでも「ベガ」を見上げようと約束します。
離ればなれになったふたりが想いをつなぐ星。
若き兵士が命を託す星。
そして、爆撃機を敵地へ導く武器になった星。
沖縄戦出撃の前夜、和夫の久子に宛てた最期の手紙に「星が武器としてではなく、希望の光で輝ける日が来ることを願っています」と綴られていました。ベガの光はいまも変わることなく私達の頭上で輝き続け、大切な何かを伝えています。
---------

星が二人をつなぐというロマンチックな設定です。
ただし戦争によってつながれるのですが。
戦争は失うものばかりだという主人公の強いメッセージは、最後のコーラスとともに響いてきました。
私は当時そのように考えていた人たちがどれほどいたのか、気になりました。
戦争の悲惨さは語りつがれていて、それを語りつぐことは、重要なことです。
逆に私が聞いてこなかったのは、戦局が悪化する以前のことです。37年の日中戦争開始、41年の日米戦争開始のときは、そんな悲惨な状況はなく、国民の多くも日本の快進撃に喜んでいたのではないでしょうか。(日米戦争開戦については、アメリカに勝てるわけはない、と思った人は少なくないようですが・・)
そういったなかで、戦局が悪化し、気づいたら生活がどんどんと圧迫されるようになって、だんだんと嫌戦ムードになっていった。日本軍は重慶などで爆撃を繰り返していたけれど、国民は自らがそういった立場になるまで戦場の悲惨さに思いをいたらすことはあまりなかったのではないか。
戦争を伝えるには、その悲惨さだけではなく、そうなる以前(日本が侵略戦争で得をしていたころ)のことも含めて、伝えていくべきではないか。その過程を考えることが重要な示唆を含んでいるように思います。

閉館後にまたがって、サイクロトロンの特別上映会が開催されました。
プラネタリウムの大きなスクリーンに映していただきました!映像が少し暗かったのが残念です。

科学館の来館者は親子連れが多く、子供には難しそうな内容だったからか、参加者は少なめでしたが、ベガ上映実行委員会、戦争体験者、博物館の実習生、富山大学の学生、サイクロトロン関係者、たちが集まり、語り合いの時間には全員が話すことができました。(みんな思うことを話しすぎて、語り「合い」にならなかったという反省はありますが)一人一人が、配られたボードに考えたことを書いて、それについて述べていきました。いろいろと考えさせられることがありました。

一番印象的だったのは、椚座先生が指摘された「当事者性」についてです。
何かについて語っている当人の当事者性がない、ということが一番の問題であると指摘されました。
意識的なのか、無意識的なのか、自分は蚊帳の外の人間として行動していることはないでしょうか?
専門家ではないからわからない、というのは逃げだなあと改めて思いました。
戦争の被害ばかり語られるのも、当事者性のなさのあらわれともいえます。
もちろん、戦争の被害を語りついでいくことも大変重要なことなのですが。
そこからもう少し踏み込んで考えたいです。

ベガ実行委員会ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/vega_tokyo_office

上映報告(市民科学講座)

8月2日、第28回市民科学講座「戦時下の科学――ドキュメンタリー『よみがえる京大サイクロトロン』を見て」がアカデミー文京(文京シビックセンター)で開催されました。
今回の講座は市民科学研究室・低線量被爆勉強会の主催で、ドキュメンタリー上映後には同勉強会の瀬川さんによる技術解説、そしてディスカッションという流れでした。

非常に暑い日でしたが、50名近くの方に参加していただきました!

瀬川さんの解説では、低線量被爆勉強会ならではの新しい視点、サイクロトロン破壊と生物・医学研究とのかかわりについて、について示されまました。
今回は科学史研究者など専門家が多く参加され、議論はかなり専門的なものになりました。
小沼通二先生からは、湯川秀樹が原爆研究にかかわったか否かということ、それをめぐる戦後の湯川の意識についてお話ししていただきました。

また、戦時中の日本の原爆研究に関する「公文書がない」ということも話題になりました。それゆえに日本の原爆研究の歴史は明らかになっていない部分は、まだ多くあります。ただし一次資料は少ないながらあり、証拠がないから、その歴史がなかった、とはいえず、そういう歴史も残していく必要があると思います。

若い方の参加者もいつもの市民科学講座と比べると多かったようです。
ドキュメンタリーについては、好意的な感想をたくさんの方にいただけました。
どうもありがとうございました。


参加者の一人、ロシア物理学史を専門にしている金山さんがブログで感想を書いてくれました。

http://hisphyussr.at.webry.info/200808/article_2.html

かなり鋭いポイントがつかれています。
3月に京都大学で上映会をしたときには、戦時中の荒勝研究室にいたOBの先生方から、戦時中に軍に協力するのは当たり前で、そのことをあとからとやかくいわれることには強い抵抗があるという意見がでました。
後から原爆研究にかかわったとして科学者を糾弾することは簡単ですが、私はそういった科学者の責任という問題より、そういったことを当たり前にした社会がどのようにそうなったのかについて検討したいと考えています。

2008年7月30日水曜日

上映予告

8月、下記の日程で上映会が予定されています。
関東方面の方、ぜひお誘いあわせの上ご参加ください!


8月2日(土):第28回市民科学講座「戦時下の科学――ドキュメンタリー『よみがえる京大サイクロトロン』を見て」
アカデミー文京 学習室(東京都文京区) 
14時から17時(開場13時半) 
http://www.csij.org/03/shiminkouza.html 


8月11日(月):山梨県立科学館 
13時から「戦場に輝くベガ 約束の星を見上げて」(上映:一般投影)       http://www.veganet.jp/ 
17時から「よみがえる京大サイクロトロン」申込者向け上映(70分) 
終了後,制作者をまじえ,戦争と科学をテーマに語り合い(終了予定19時30分) http://scicom.edu.u-toyama.ac.jp/080811kofu.txt

関連記事

主な関連記事 (ウェブ上でよめるものを中心に)

日経新聞「湯川秀樹の遺伝子」
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news002142.html
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news002264.html
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news002407.html
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news002623.html
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news002624.html
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news002753.html
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news002889.html
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news003048.html
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news003204.html
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news003334.html
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news003467.html

京都新聞
http://kyoto-np.jp/article.phpmid=P2008032600178&genre=G1&area=K1D
http://kyoto-np.jp/article.php?mid=P2008020700103&genre=G1&area=K10
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php? mid=P2007081400027&genre=G1&area=K10

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/kyoto/080328/ kyt0803280301000-n1.htm


※過去の記事のため、いくつかリンクが切れているようです。そのうちPDFにしてのせれればと思います。(8月27日追記)

2008年5月29日木曜日

はじまり*サイエンス・ライティング講座

サイクロトロンの部品であるポール・チップの存在をしったのは、2005年秋から翌年にかけて開催された「サイエンスライティング講座@京都」がきっかけでした。
サイエンスライティング講座とは、主に理系の院生が、研究を社会に伝えるためのスキルを学んでいくものです。最終的にそれぞれのテーマで作品(基本的には記事)をつくり発表することになっていました。

2月2日は、編集会議。みながそれぞれの作品について、相談しあっていました。私(中尾)は、原爆がどのように伝えられているのかというテーマで、広島をはじめとした日本の博物館、アメリカのラスベガスにオープンしたAtomic Testing Museumを訪れて修士論文を書いた直後だったので、その話をしました。
博物館の比較研究を行なった結果、もちろんアメリカでは広島で伝えている被害については殆ど伝えていないのですが、たとえば放射線について説明するにしても博物館によって全く異なる説明の仕方がされていることがわかりました。つまり、科学的な言説は権威的なものとして、一見客観的なものとして、用いられているのだ、という内容でした。理系の学生からは、とても意外であったという反応や、「客観性」という言葉のあやうさについてなど、いろいろと議論がなされました。
そんななか、たまたまそこに居合わせていた京大博物館の大野先生から、驚くべき事実が知らされたのです。その後地下収蔵室のポールチップを見せていただきました。何も語らないその部品の歴史に心をひかれ、できれば展示の文脈を見つけたい、と調査をはじめました。

ライティング講座GMの塩瀬さんからポールチップについて何か事情を知っていそうな京大の先生方に問い合わせていただいた結果、複数の先生方から、その経緯について一番知っているのは竹腰先生だろうと教えられたのです。<つづく>

その後サイエンスライティング講座作品として書いた記事がこれです。
http://www.symlab.sys.i.kyoto-u.ac.jp/renkei/sci_wri/document/nakao/nakao.html

サイエンスライティング講座2005の作品は山田編集長のもとWeb Publishingされました。
http://www.symlab.sys.i.kyoto-u.ac.jp/renkei/sci_wri/main.html

サイエンスライティング講座は刺激的な出会いの場所でした。この講座によって、さまざまなネットワークが生まれ、現在まで活発に活動しています。
そのうちのひとつ、井戸端サイエンス工房のページはこちら。http://kyoto.vis.ne.jp/isl/

2008年5月4日日曜日

「よみがえる京大サイクロトロン」とこのページについて

はじまりは2006年2月、京都大学博物館の大野先生から「日本が戦時中におこなっていた核開発の遺 品をもっている」と明かされたのでした。

その遺品とは、サイクロトロン(円形加速器)のポールチップという一部分でした。本体のサイクロトロンは戦後GHQによって破壊され、廃棄されていたのでした。にもかかわらず、なぜ、博物館にその一部分があるのか??

展示されていないポールチップにはどのような歴史的文脈があるのか、それを探るため、私たちは調査をはじめました。

関係者へのインタビューや、資料の調査など、少しずつ歴史をたどっていく過程はとてもエキサイティングなものでした。
それを形にまとめたいと、ドキュメンタリーを制作しました。映像は言葉にならない感覚や感情をうつしだすことができるという考えからでした。

折り重なったテーマを、なるべくそのままに、見せることができたら、という思いで制作しました。

といっても、もちろんドキュメンタリーの中にすべて織り込めているわけではなく、また、調査がこれで完結したわけでもありません。これまでの活動によって、新たなつながりや方向が見えてきています。

そこで、これまで及びこれからの活動の一端を、ここで紹介していきたいと思います。
このブログには、インタビューの簡単な記録やそのとき感じたこと、ドキュメンタリーの上映予告や報告などを載せていく予定です。どうぞよろしくお付き合い下さい。


(文章/中尾)