2008年8月13日水曜日

上映報告(山梨県立科学館)

8月11日、山梨県立科学館で、同館のプラネタリウム作品「戦場に輝くベガ 約束の星を見上げて」と、「よみがえる京大サイクロトロン」を上映し、二作品について語り合う、という企画が催されました。
これは、サイクロトロンドキュメンタリーの制作チームの一人である、林さんの強い希望により、実現しました。
山梨県立科学館は、子供たちが楽しめる体験型展示がたくさんあって、すてきなところでした。
プラネタリウムは学芸員の高橋真理子さんのナビゲーションで、とくにすばらしかったです!
後半は、ベガの上映です。

以下はベガ上映実行委員会ウェブサイトより、ベガの説明です。
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プラネタリウム番組「戦場に輝くベガ~約束の星を見上げて」は、ほんの60年前、星が武器になった時代を描いた2006年公開の作品です。
天文航法(*)で陸上爆撃機「銀河」を導く若き偵察員和夫と、その元データとなる高度方位暦をつくる学徒勤労動員の女学生久子。二人は離れていても、いつでも「ベガ」を見上げようと約束します。
離ればなれになったふたりが想いをつなぐ星。
若き兵士が命を託す星。
そして、爆撃機を敵地へ導く武器になった星。
沖縄戦出撃の前夜、和夫の久子に宛てた最期の手紙に「星が武器としてではなく、希望の光で輝ける日が来ることを願っています」と綴られていました。ベガの光はいまも変わることなく私達の頭上で輝き続け、大切な何かを伝えています。
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星が二人をつなぐというロマンチックな設定です。
ただし戦争によってつながれるのですが。
戦争は失うものばかりだという主人公の強いメッセージは、最後のコーラスとともに響いてきました。
私は当時そのように考えていた人たちがどれほどいたのか、気になりました。
戦争の悲惨さは語りつがれていて、それを語りつぐことは、重要なことです。
逆に私が聞いてこなかったのは、戦局が悪化する以前のことです。37年の日中戦争開始、41年の日米戦争開始のときは、そんな悲惨な状況はなく、国民の多くも日本の快進撃に喜んでいたのではないでしょうか。(日米戦争開戦については、アメリカに勝てるわけはない、と思った人は少なくないようですが・・)
そういったなかで、戦局が悪化し、気づいたら生活がどんどんと圧迫されるようになって、だんだんと嫌戦ムードになっていった。日本軍は重慶などで爆撃を繰り返していたけれど、国民は自らがそういった立場になるまで戦場の悲惨さに思いをいたらすことはあまりなかったのではないか。
戦争を伝えるには、その悲惨さだけではなく、そうなる以前(日本が侵略戦争で得をしていたころ)のことも含めて、伝えていくべきではないか。その過程を考えることが重要な示唆を含んでいるように思います。

閉館後にまたがって、サイクロトロンの特別上映会が開催されました。
プラネタリウムの大きなスクリーンに映していただきました!映像が少し暗かったのが残念です。

科学館の来館者は親子連れが多く、子供には難しそうな内容だったからか、参加者は少なめでしたが、ベガ上映実行委員会、戦争体験者、博物館の実習生、富山大学の学生、サイクロトロン関係者、たちが集まり、語り合いの時間には全員が話すことができました。(みんな思うことを話しすぎて、語り「合い」にならなかったという反省はありますが)一人一人が、配られたボードに考えたことを書いて、それについて述べていきました。いろいろと考えさせられることがありました。

一番印象的だったのは、椚座先生が指摘された「当事者性」についてです。
何かについて語っている当人の当事者性がない、ということが一番の問題であると指摘されました。
意識的なのか、無意識的なのか、自分は蚊帳の外の人間として行動していることはないでしょうか?
専門家ではないからわからない、というのは逃げだなあと改めて思いました。
戦争の被害ばかり語られるのも、当事者性のなさのあらわれともいえます。
もちろん、戦争の被害を語りついでいくことも大変重要なことなのですが。
そこからもう少し踏み込んで考えたいです。

ベガ実行委員会ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/vega_tokyo_office

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