2008年12月18日木曜日

理科大生の感想

先日理科大の授業で上映する機会をつくってくれた愼蒼健先生が、
すごい数のレポートを送ってくれました!(80人近く)
ぜんぶ興味深く拝見しました。
さまざまなことを考えてもらえて制作してよかったと改めて感じています。
せっかくなのでここで一部ご紹介したいと思います。
(一人800字程度の感想のうちの一部です)



私 は、「よみがえる京大サイクロトロン」を見て、科学史というものをあらためて実感した。私は今まで戦争を、表面側からしか見ていなかったのだと思った。第 二次世界大戦の最中に、見えないところで、科学者たちが築き上げていったものを、この映画を通して初めて見ることができたのである。




関連する出来事がさまざまな立場の人たちの視点から述べられていて、それぞれの意見の中には違ったものもあり、当時の人々の心理を含めた歴史を知ることはなかなか難しいことだと思った。
最初は正直見せられて見ていたが、興味深い内容に引きこまれ途中からは真剣になって見ることのできるほど見ていて面白かったです。



原 爆の開発は当時の大学1年生でも可能であったと知っていたことや、結局成功しなかったものの海軍からの援助があり荒勝文 策らが開発に取り掛かっていたということ、そのメンバーに湯川秀樹もいたなど知らなかったので最後まであっという間の大変興味深い映画でした。いつか博物 館にポールチップを見に行きたいです。




サ イクロトロンという切り口で歴史を振り返るのはとても面白い観点だと思いました。なぜなら、今まで自分が教わっ てきた日本の戦争の歴史とは随分違った印象を受たからです。正直、自分は日本が原爆研究に携わっていたことすら知らなかったのですが、様々な人がサイクロ トロンという一つのものに対して色々な証言や意見を述べていた姿はとても印象的でした。当たり前のことかもしれませんが、一人一人全く違ったことを言って いたように思います。



今回「よみがえる京大サイクロトロン」を見て、映画の中で、当時の関係者が話した戦時中の大学の様子が興味深く感じられた。大学では戦時にもかかわらず自由に授業や研究が行われていたということを聞き、また中尾さんが原爆研究は大学が純粋な科学研究をするためにとった建て前という側面もあると聞き、今まで抱いていた国民が戦争に総動員されている戦争のイメージと違いおもしろかった。戦中であってもさまざまな考え方を持った人がいたという事実は、当然といえば当然だが興味深かった。これまで戦争というと悲惨なイメージしかなかったが、今までと違う視点から戦争を見ることができ面白かった。




はこのドキュメンタリーをみて、ものすごく複雑な思いである。なぜかというと「日本は原爆を作ろうとしていたのか」とい うテーマに対して、自分の中ではっきりとした答えが見つからないからだ。日本は第二次世界大戦において原爆によって数多くの人々を失い、悲惨な思いをし た。その日本が自らの手で原爆の開発をしていたとは考えたくはない。



サイクロトロンの部品が残ったのは極めて幸運な偶然であり、この部品が過去の原爆研究を示す重要な証拠であることには違いない。このことに関して10人いれば10通りの意見が出てくるが、今回のドキュメンタリーを見た私達に過去の史実だけでなく、考える機会も与えられたのだからとても有意義なものになったと思う。



科学というものをどうとらえるか。これは理学部である自分にとっても大切なことだと感じた。何かを犠牲にする進歩ではなく、その何かと協力して得られる進歩を目指したいと思う。



こ の映画のおかげで普通に生活をしているだけでは、決して見ることができなかった戦争中のサイクロトロンの一部を見ることができた。その上、偉大な科学者の サイクロトロンの意見を聞くことができ、現代の大学生がどのようにサイクロトロンについて考えているのかを知ることができておもしろかった。今まで当たり 前のように考えていたこともこのように深く、真剣に調べることによって全く違ったこともあることがある。先入観にとらわれずに調べていく大切さを知る機会 になった。このことを生かして国のため、世界に貢献できるような科学者になれるように頑張っていこうと思う。

続・理科大生の感想

長くなるので分割しました。



日本が核爆弾の開発を進めていた可能性がある(映画によると断定はできないと感じた)という部分は確かに驚いたが、それよ りはるかに衝撃的だったのが、“GHQによるサイクロトロンの破壊”という事実だ。本当に、耳を疑った。何故かというと、僕は、今まで中学、高校と社会科 の授業をちゃんと受けていたが、“GHQとは鎖国をしていた日本を国際化へ導き、軍国主義から平和主義、民主化など、現在の日本の基盤を作りあげた。”と いうプラスのイメージしか持っていなかったからである。




今まで習ってきたこと殻の自分の見解は、アメリカやその他の国が原爆を造っていて、日本は第二次世界大戦において、広島と長崎に原爆を落とされているの で、“その恐ろしさを世界に知ってもらおう”という単純な考えだ。 確かにその考えは正しいものであり、これからの世界平和にとってとても重要なことだろう。しかし、今回のドキュメンタリーを知った上でなら、“日本は原爆 の被害者であるということと同時に、原爆の加害者になる可能性もあった”という事実を知っていることが必要だと感じた。




自分の意見としては、サイクロトロンの破壊は賛成と考える。研究が発展し、どのように使われていくかはわからないが、原爆に関係するところから明るい光は見えてこない。ただ、この事実は今後平和を考えていく中で、大切にしていかなければならないと感じた。



わざわざ破壊したくらいなので、アメリカはサイクロトロンを原子爆弾と結びつけてとらていたと考えられる。しかし、科学者は純粋にサイクロトロンの研究を したかったが、研究には材料、人手、お金などが必要であり、軍部に援助してもらうために、核開発目的を装ったとする立場もある。無論軍部の方も一枚岩では なく、大学出身者が母校の研究室に研究費をまわそうと目論んでいた可能性もある。




昔、こういった研究ごとは金持ちが専ら行っていたという事を以前聞いた。当時の娯楽に飽きてしまった金持ちが見つけたのが、物理の研究であった。彼らはあ くまで暇をつぶすために興味本位で研究をし、様々な発見をしてきた。もしかしたら荒勝氏もそのような人だったのだろうか。「粒子に大きなエネルギーを与え て他の粒子と衝突させるとどうなるか」という疑問だけを持ってずっと研究を行っていたのだろうか。また、彼にとって戦争はどうでも良く、ただただ自分の研 究がしたいがために海軍を騙してまで研究を続けていたのだろうか。こう考えると、荒勝氏は「当時の国民像」としては良くなくても「研究者」としては素晴ら しいと感じた。荒勝氏の事を知ってもっと深くこの問題を知りたいと思った。



科学者を含む学者の役割の大きな部分である「知の探求」考えるならば、彼らの行動は大いに賞賛されるだろう。国が貧しかろうと戦時だろうと探求をやめなかったのだから。しかし、古代ギリシャの哲学する人々の登場には、今日では好ましくない制度だが奴隷が潤沢におり、自分は雑務をしなくても良い環境が整っていたことが大きく関係する。他の事をしなくても良い暇な人口の存在が学問の礎となった。科学も哲学からの派生であることを考えると、奴隷ではない他の国民が苦汁をなめている中で、完成が戦時中には見込めない原爆製造の基礎研究に勤しみ、国民への負担を無視して自分の欲求を追及している彼らは賞賛されるべき学者であるのか疑問である。



私は研究者たちが原爆開発を全く視野に入れていなかったとは、言い切れないと思う。戦時中で実用できれば日本の戦力になるならば、少なくとも開発したくないとは思っていなかったはずだ。ただ、研究が原爆を開発するというレベルに達していなかっただけで、もし十分に研究が進んでいたなら、日本の研究者たちも原爆を作っていたということは考えられる。



軍が求めていたのは原爆という「目的」であり、研究者が求めていたのは核研究という「過程」である。研究者たちは「過程」を行うための資金や資材を手に入れるために、軍が求める「結果」を受け入れた。一方軍は、「結果」を得るために研究者が求める「過程」を行うだけのものを与えた。個人ごとに差があるだろうが、軍の人間も研究者もなんとなくはお互いの求めていることのズレを理解していたのではないかと感じる。それでも大きく考えれば、進みたい方向は同じであるのでそれほど問題ではない、という意識だったのではないだろうか。



科学史に限らず歴史学というものは結論を言い切ってしまうことが難しいものなのだろう。殊に第二次大戦に関わることは被害 を受けた方が多く存命するのでその困難さに拍車が掛かっているのだろう。私は一般的な法則を見つけ出すことを目的とした物理学を学んでいるので正直言って この手の議論にはもどかしさを感じる。だがこういう議論が絶えないからこそ現代人が戦争を考えることができるのだろう。仮に議論が決着を付いてしまったと 考えると、一体どれ程の人が戦争について考えるのであろうか。歴史学の知識は何も無いが私はそのように考えさせられた。



サイクロトロンは破壊された。しかしその研究は後世の私たちにそれが確かに存在した証となる1枚のボールチップと、知識と経験を残した。サイクロトロンそ のものは破壊されても、何度でもよみがえるだろう。問われるのは、私たちがいかにして
その技術を利用していくかではないだろうか。



たくさん紹介しすぎてしまいました。。
解釈はもちろん自由ですが、思った以上に私が作品にこめた思いをうけとってくれていて、嬉しいです。