8月31日(日)、KEKの一般公開で、ドキュメンタリーが上映されます!
location: コミュニケーションプラザ
time: 9:30-10:45 & 14:00-15:15
詳細はKEKのページをご覧ください。
http://www.kek.jp/openhouse/2008/
また同日、史料室の展示エリアでも上映される予定です。
2008年8月16日土曜日
加速器実験
8月2日の上映会にいらした毎日新聞の青野記者が、今日の「発信箱」に「加速器と責任」という文章を書かれています。ドキュメンタリーについても紹介されています。
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/archive/news/20080816ddm002070027000c.html
CERNのLHC(大型ハドロン衝突型加速器)の実験によりブラックホールが出現し、地球が飲み込まれるのではないかとの懸念から(LHCの運用中止を求める訴訟までおこり)、当初実験が予定されていた8月7日の前には一部の人々をはらはらさせました。実験は9月10日に延期されたとのことで、一ヶ月間気が気でない人も多いのでは!?
私はこのニュースを聞いたとき、1940年2月のTIMEの記事を思い出しました。記事では、核分裂発見のあとジョン・F・ダニングらがニューヨークで追実験を行ったときに芽生えた「核分裂連鎖反応によってニューヨークが壊滅したかもしれない」というセンセーショナルな逸話を紹介していました。記事によるとそれは「コロンビア大学の善意をもった物理学者が、まるで小さな男の子がナッツをくだくように満足げにウラニウム原子を中性子で割る」ことによります。このような不安は1939年以降さまざまな記事にみることができます。新たな挑戦にはいつの時代も希望と不安とがつきものですが、挑戦者たちだけではなく地球規模(宇宙規模?)で心配される、というのが今回の実験の規模を物語っているようです。
8月31日に、KEK(高エネルギー加速器研究機構)の施設が一般公開されます。
この機会に加速器研究者にいろいろと聞いてみたいですね。
「よみがえる京大サイクロトロン」も、一般公開の日に展示ホールと史料室の2箇所で上映される予定です。KEKに足を運ぶ方はぜひご覧ください。時間などの詳細についてはまたお知らせします。
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/archive/news/20080816ddm002070027000c.html
CERNのLHC(大型ハドロン衝突型加速器)の実験によりブラックホールが出現し、地球が飲み込まれるのではないかとの懸念から(LHCの運用中止を求める訴訟までおこり)、当初実験が予定されていた8月7日の前には一部の人々をはらはらさせました。実験は9月10日に延期されたとのことで、一ヶ月間気が気でない人も多いのでは!?
私はこのニュースを聞いたとき、1940年2月のTIMEの記事を思い出しました。記事では、核分裂発見のあとジョン・F・ダニングらがニューヨークで追実験を行ったときに芽生えた「核分裂連鎖反応によってニューヨークが壊滅したかもしれない」というセンセーショナルな逸話を紹介していました。記事によるとそれは「コロンビア大学の善意をもった物理学者が、まるで小さな男の子がナッツをくだくように満足げにウラニウム原子を中性子で割る」ことによります。このような不安は1939年以降さまざまな記事にみることができます。新たな挑戦にはいつの時代も希望と不安とがつきものですが、挑戦者たちだけではなく地球規模(宇宙規模?)で心配される、というのが今回の実験の規模を物語っているようです。
8月31日に、KEK(高エネルギー加速器研究機構)の施設が一般公開されます。
この機会に加速器研究者にいろいろと聞いてみたいですね。
「よみがえる京大サイクロトロン」も、一般公開の日に展示ホールと史料室の2箇所で上映される予定です。KEKに足を運ぶ方はぜひご覧ください。時間などの詳細についてはまたお知らせします。
2008年8月14日木曜日
上映予告
8月24日、富山で上映会があります!
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開催日:2008年8月24日(日)
開催場所:フォルツァ総曲輪ライブホールにて
第1部15:00~(入場無料)
「よみがえる京大サイクロトロン」上映会70分・トークライブ60分
この映画の中尾監督を交えたトークライブ
第2部17:30~NNNT年次総会
第3部18:00~(参加費3,000円)
ネットワークパーティー 軽食・飲み物付き
交流の時間があります。名刺、チラシなどあればお持ち下さい。
*準備の都合上ご参加の場合下記お問合せ先までご連絡ください。
主催:NGO・NPOネットワークとやま
お問合せ先:フォルツァ総曲輪
富山県富山市総曲輪3-3-6 総曲輪ウィズビル5F
TEL 076-493-8815
メール:info@pctool.org
2008年8月13日水曜日
上映報告(山梨県立科学館)
8月11日、山梨県立科学館で、同館のプラネタリウム作品「戦場に輝くベガ 約束の星を見上げて」と、「よみがえる京大サイクロトロン」を上映し、二作品について語り合う、という企画が催されました。
これは、サイクロトロンドキュメンタリーの制作チームの一人である、林さんの強い希望により、実現しました。
山梨県立科学館は、子供たちが楽しめる体験型展示がたくさんあって、すてきなところでした。
プラネタリウムは学芸員の高橋真理子さんのナビゲーションで、とくにすばらしかったです!
後半は、ベガの上映です。
以下はベガ上映実行委員会ウェブサイトより、ベガの説明です。
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プラネタリウム番組「戦場に輝くベガ~約束の星を見上げて」は、ほんの60年前、星が武器になった時代を描いた2006年公開の作品です。
天文航法(*)で陸上爆撃機「銀河」を導く若き偵察員和夫と、その元データとなる高度方位暦をつくる学徒勤労動員の女学生久子。二人は離れていても、いつでも「ベガ」を見上げようと約束します。
離ればなれになったふたりが想いをつなぐ星。
若き兵士が命を託す星。
そして、爆撃機を敵地へ導く武器になった星。
沖縄戦出撃の前夜、和夫の久子に宛てた最期の手紙に「星が武器としてではなく、希望の光で輝ける日が来ることを願っています」と綴られていました。ベガの光はいまも変わることなく私達の頭上で輝き続け、大切な何かを伝えています。
---------
星が二人をつなぐというロマンチックな設定です。
ただし戦争によってつながれるのですが。
戦争は失うものばかりだという主人公の強いメッセージは、最後のコーラスとともに響いてきました。
私は当時そのように考えていた人たちがどれほどいたのか、気になりました。
戦争の悲惨さは語りつがれていて、それを語りつぐことは、重要なことです。
逆に私が聞いてこなかったのは、戦局が悪化する以前のことです。37年の日中戦争開始、41年の日米戦争開始のときは、そんな悲惨な状況はなく、国民の多くも日本の快進撃に喜んでいたのではないでしょうか。(日米戦争開戦については、アメリカに勝てるわけはない、と思った人は少なくないようですが・・)
そういったなかで、戦局が悪化し、気づいたら生活がどんどんと圧迫されるようになって、だんだんと嫌戦ムードになっていった。日本軍は重慶などで爆撃を繰り返していたけれど、国民は自らがそういった立場になるまで戦場の悲惨さに思いをいたらすことはあまりなかったのではないか。
戦争を伝えるには、その悲惨さだけではなく、そうなる以前(日本が侵略戦争で得をしていたころ)のことも含めて、伝えていくべきではないか。その過程を考えることが重要な示唆を含んでいるように思います。
閉館後にまたがって、サイクロトロンの特別上映会が開催されました。
プラネタリウムの大きなスクリーンに映していただきました!映像が少し暗かったのが残念です。
科学館の来館者は親子連れが多く、子供には難しそうな内容だったからか、参加者は少なめでしたが、ベガ上映実行委員会、戦争体験者、博物館の実習生、富山大学の学生、サイクロトロン関係者、たちが集まり、語り合いの時間には全員が話すことができました。(みんな思うことを話しすぎて、語り「合い」にならなかったという反省はありますが)一人一人が、配られたボードに考えたことを書いて、それについて述べていきました。いろいろと考えさせられることがありました。
一番印象的だったのは、椚座先生が指摘された「当事者性」についてです。
何かについて語っている当人の当事者性がない、ということが一番の問題であると指摘されました。
意識的なのか、無意識的なのか、自分は蚊帳の外の人間として行動していることはないでしょうか?
専門家ではないからわからない、というのは逃げだなあと改めて思いました。
戦争の被害ばかり語られるのも、当事者性のなさのあらわれともいえます。
もちろん、戦争の被害を語りついでいくことも大変重要なことなのですが。
そこからもう少し踏み込んで考えたいです。
ベガ実行委員会ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/vega_tokyo_office
これは、サイクロトロンドキュメンタリーの制作チームの一人である、林さんの強い希望により、実現しました。
山梨県立科学館は、子供たちが楽しめる体験型展示がたくさんあって、すてきなところでした。
プラネタリウムは学芸員の高橋真理子さんのナビゲーションで、とくにすばらしかったです!
後半は、ベガの上映です。
以下はベガ上映実行委員会ウェブサイトより、ベガの説明です。
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プラネタリウム番組「戦場に輝くベガ~約束の星を見上げて」は、ほんの60年前、星が武器になった時代を描いた2006年公開の作品です。
天文航法(*)で陸上爆撃機「銀河」を導く若き偵察員和夫と、その元データとなる高度方位暦をつくる学徒勤労動員の女学生久子。二人は離れていても、いつでも「ベガ」を見上げようと約束します。
離ればなれになったふたりが想いをつなぐ星。
若き兵士が命を託す星。
そして、爆撃機を敵地へ導く武器になった星。
沖縄戦出撃の前夜、和夫の久子に宛てた最期の手紙に「星が武器としてではなく、希望の光で輝ける日が来ることを願っています」と綴られていました。ベガの光はいまも変わることなく私達の頭上で輝き続け、大切な何かを伝えています。
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星が二人をつなぐというロマンチックな設定です。
ただし戦争によってつながれるのですが。
戦争は失うものばかりだという主人公の強いメッセージは、最後のコーラスとともに響いてきました。
私は当時そのように考えていた人たちがどれほどいたのか、気になりました。
戦争の悲惨さは語りつがれていて、それを語りつぐことは、重要なことです。
逆に私が聞いてこなかったのは、戦局が悪化する以前のことです。37年の日中戦争開始、41年の日米戦争開始のときは、そんな悲惨な状況はなく、国民の多くも日本の快進撃に喜んでいたのではないでしょうか。(日米戦争開戦については、アメリカに勝てるわけはない、と思った人は少なくないようですが・・)
そういったなかで、戦局が悪化し、気づいたら生活がどんどんと圧迫されるようになって、だんだんと嫌戦ムードになっていった。日本軍は重慶などで爆撃を繰り返していたけれど、国民は自らがそういった立場になるまで戦場の悲惨さに思いをいたらすことはあまりなかったのではないか。
戦争を伝えるには、その悲惨さだけではなく、そうなる以前(日本が侵略戦争で得をしていたころ)のことも含めて、伝えていくべきではないか。その過程を考えることが重要な示唆を含んでいるように思います。
閉館後にまたがって、サイクロトロンの特別上映会が開催されました。
プラネタリウムの大きなスクリーンに映していただきました!映像が少し暗かったのが残念です。
科学館の来館者は親子連れが多く、子供には難しそうな内容だったからか、参加者は少なめでしたが、ベガ上映実行委員会、戦争体験者、博物館の実習生、富山大学の学生、サイクロトロン関係者、たちが集まり、語り合いの時間には全員が話すことができました。(みんな思うことを話しすぎて、語り「合い」にならなかったという反省はありますが)一人一人が、配られたボードに考えたことを書いて、それについて述べていきました。いろいろと考えさせられることがありました。
一番印象的だったのは、椚座先生が指摘された「当事者性」についてです。
何かについて語っている当人の当事者性がない、ということが一番の問題であると指摘されました。
意識的なのか、無意識的なのか、自分は蚊帳の外の人間として行動していることはないでしょうか?
専門家ではないからわからない、というのは逃げだなあと改めて思いました。
戦争の被害ばかり語られるのも、当事者性のなさのあらわれともいえます。
もちろん、戦争の被害を語りついでいくことも大変重要なことなのですが。
そこからもう少し踏み込んで考えたいです。
ベガ実行委員会ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/vega_tokyo_office
上映報告(市民科学講座)
8月2日、第28回市民科学講座「戦時下の科学――ドキュメンタリー『よみがえる京大サイクロトロン』を見て」がアカデミー文京(文京シビックセンター)で開催されました。
今回の講座は市民科学研究室・低線量被爆勉強会の主催で、ドキュメンタリー上映後には同勉強会の瀬川さんによる技術解説、そしてディスカッションという流れでした。
非常に暑い日でしたが、50名近くの方に参加していただきました!
瀬川さんの解説では、低線量被爆勉強会ならではの新しい視点、サイクロトロン破壊と生物・医学研究とのかかわりについて、について示されまました。
今回は科学史研究者など専門家が多く参加され、議論はかなり専門的なものになりました。
小沼通二先生からは、湯川秀樹が原爆研究にかかわったか否かということ、それをめぐる戦後の湯川の意識についてお話ししていただきました。
また、戦時中の日本の原爆研究に関する「公文書がない」ということも話題になりました。それゆえに日本の原爆研究の歴史は明らかになっていない部分は、まだ多くあります。ただし一次資料は少ないながらあり、証拠がないから、その歴史がなかった、とはいえず、そういう歴史も残していく必要があると思います。
若い方の参加者もいつもの市民科学講座と比べると多かったようです。
ドキュメンタリーについては、好意的な感想をたくさんの方にいただけました。
どうもありがとうございました。
*
参加者の一人、ロシア物理学史を専門にしている金山さんがブログで感想を書いてくれました。
http://hisphyussr.at.webry.info/200808/article_2.html
かなり鋭いポイントがつかれています。
3月に京都大学で上映会をしたときには、戦時中の荒勝研究室にいたOBの先生方から、戦時中に軍に協力するのは当たり前で、そのことをあとからとやかくいわれることには強い抵抗があるという意見がでました。
後から原爆研究にかかわったとして科学者を糾弾することは簡単ですが、私はそういった科学者の責任という問題より、そういったことを当たり前にした社会がどのようにそうなったのかについて検討したいと考えています。
今回の講座は市民科学研究室・低線量被爆勉強会の主催で、ドキュメンタリー上映後には同勉強会の瀬川さんによる技術解説、そしてディスカッションという流れでした。
非常に暑い日でしたが、50名近くの方に参加していただきました!
瀬川さんの解説では、低線量被爆勉強会ならではの新しい視点、サイクロトロン破壊と生物・医学研究とのかかわりについて、について示されまました。
今回は科学史研究者など専門家が多く参加され、議論はかなり専門的なものになりました。
小沼通二先生からは、湯川秀樹が原爆研究にかかわったか否かということ、それをめぐる戦後の湯川の意識についてお話ししていただきました。
また、戦時中の日本の原爆研究に関する「公文書がない」ということも話題になりました。それゆえに日本の原爆研究の歴史は明らかになっていない部分は、まだ多くあります。ただし一次資料は少ないながらあり、証拠がないから、その歴史がなかった、とはいえず、そういう歴史も残していく必要があると思います。
若い方の参加者もいつもの市民科学講座と比べると多かったようです。
ドキュメンタリーについては、好意的な感想をたくさんの方にいただけました。
どうもありがとうございました。
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参加者の一人、ロシア物理学史を専門にしている金山さんがブログで感想を書いてくれました。
http://hisphyussr.at.webry.info/200808/article_2.html
かなり鋭いポイントがつかれています。
3月に京都大学で上映会をしたときには、戦時中の荒勝研究室にいたOBの先生方から、戦時中に軍に協力するのは当たり前で、そのことをあとからとやかくいわれることには強い抵抗があるという意見がでました。
後から原爆研究にかかわったとして科学者を糾弾することは簡単ですが、私はそういった科学者の責任という問題より、そういったことを当たり前にした社会がどのようにそうなったのかについて検討したいと考えています。
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